まるで旅のようだった

 幕が降りた。
 台詞を忘れないうちに再演したいと言ってくれたから、今はまだ寂しさより幸福感が強い。ステージの真ん中に立ち、カンパニーとスタッフさんを何よりも愛おしそうに見つめる光一さんの姿は、しあわせの象徴だからだ。彼の居場所は、間違えなくここにある。

 なにをそんなに生き急いでるの、と問われた。
 博多座を増やすことに決めたときだった。ファンクラブ枠で当選していた13日の昼公演に合わせ、旅行の予定を立てていたからだ。一泊二日。その一公演だけ観劇して、あとはだいすきな博多を観光して帰る。その予定だった。博多座の幕が開くまでは。
 チャーリーとチョコレート工場日本初演。帝国劇場、博多座フェスティバルホールで全64公演。10月9日に開いた幕は、2月4日に降りてしまった。もうウォンカ様に出会うことはない。チャーリーを揶揄って笑う姿も、ウンパルンパにチョコを配る背中も、ステージの端から端まで移動しながらおしおきするところも。もう全部、わたしの頭の中で上演するしかない。スタッフさんが歌を口ずさんでいる、と教えてくれた。わたしも脳内でずっと劇中の曲が流れている。思わず歌い出したくなる。最後のゴールデンチケットは、ここ!
 どうしてこんなに通わないといけない気持ちになったんだろう。それは大阪公演が始まってから、ずっと心の中にあった。職場と劇場を新幹線で往復するというはちゃめちゃなスケジュールを組んだせいでもある。移動中は考え事が捗る。大阪岡山間じゃ寝れないし。
 一番に思い当たったのは、不安だった。博多座公演中、わたしは本当に、ずっと不安だった。帝劇4・5月のスケジュールがまだ発表されていなくて、十中八九そこにはSHOCKが収まるはずだとわかっていても。チャリチョコ初日前、子役のキャストに聞かせる話ではないからとわざわざ別個に開かれた会見、何を発信しても揚げ足を取るメディア。光一さんがファンを大切にしてくれる人だというのはわかっている。だからこそ、彼が人生を賭けて作り出してきたSHOCKという舞台の決断を迫られてるであろうことが怖かった。エターナルプロデューサーの名前はどうなる? 光一さんが彼の名前を消すことを選んだら、わたしはそれを受け入れられるのか?
 そんな中開いた舞台だった。チャーリーとチョコレート工場は本当に、夢のように信じられないくらい楽しい舞台だった。わたしが好きになった二十数年前から、光一さんは既にスーパーアイドルだったから、舞台上に姿があるのにセンターにいない、歌っていない、という経験が驚くほど新鮮で、楽しかった。バイオレットの曲が好きだ。二幕のブルーベリーになって撃ち落とされる前、ボーレガード氏とシンメトリーで踊っている姿を見ると泣きたくなる。光一さんのダンスには、ジャニーズの癖がある。関節の動かし方なのか、腕の伸ばし方なのか、わたしはダンスに詳しくないからまるでわからないけれど。同じように振りを付けられているはずなのに、光一さんが踊っているのを見ると、ああ、彼はジャニーズだと深く頷きたくなる。それで安心する。変わってないことに。周囲が何を言っても、光一さんと共にあるものは変わってない。そのことがうれしかった。不安は希望へと色を変えた。そして博多座の幕が降りた翌日、SHOCKの全国ツアーの発表があった。
 二つ目は、確かめたかったからだと思う。帝劇で初めてチャリチョコを観たとき、最高に楽しかった! と思うのど同じ温度で、わたしの脳は揺れていた。光一さんが演じるウィリー・ウォンカ。ゴールデンチケットを望んでいるのにチョコレートを買えないチャーリーを揶揄い、子どもたちがいなくなったのを笑うウォンカ様は、バラエティで見る光一さんと近しい気がした。テレビの中の彼が、素であるはずはない。そんなことはわかっている。だけど長い間、ドームのMCで、番組内で、ふざけて見せる光一さんを、こういう人なんだと思い込んでいた。わかったつもりでいた、というのを、この舞台で突きつけられた気がした。「マイクは本当に元に戻るの?」と尋ねたチャーリーに、ウォンカは「テレビに映った人間が、元に戻ることはありません。わかりきったことです」と答える。これまで見て来た光一さんと、舞台上のウォンカがモザイクになって、揺れる。オタクは本当に、アイドルのことをなにひとつ知らない。
 ウィリー・ウォンカは全部脚本だと教えてくれた。光一さんはウォンカを演じている。こーちゃんまた変なこと言ってる、と笑っていたあれこれも、ぜんぶ、演技なのかもしれない。そんな気持ちになった。わたしは光一さんのことを、本当になにも知らない。偶像崇拝はそういうものだ。わたしはこの、絶対に自分の人生と交わることのない一方的な愛情を向けても許される関係を心の底から愛している。それなのに、本当になにも知らないんだ、と思ってしまった。ステージ上で笑うウォンカは、おじさんだと言われて眉を上げるウォンカは、身長をネタにして笑いを取りに行くウォンカは。わたしの知ってる光一さんだけど、あれもこれも全部、演技なんだ。
 アイドルだ。わたしの好きになった男は、あまりに格好良いアイドルだ。もちろんそこに、何パーセントかの本当の堂本光一が混じっているだろう。アイドルとしての個と一私人としての個をきれいに分けられるほど、器用なひとだとは思っていない。というこの考えも全部、わたしの勝手な妄想だ。ああ、手のひらで転がされている。光一さんの満足そうな顔が浮かぶ。何も知らないんだから信じて笑ってろ、と言ってくれる気がする。
 だから、好きだ。本当にわたしは光一さんのことが好きだ。ジャニーズという名前を失っても、変わらず夢だけを届けてくれる信念の強さを、自らは決して表に出さない努力を、心の底から愛している。
 問いの答えをわたしは持たない。生き急いでるつもりはない。ただ、光一さんが舞台に立っていることを確かめたかった。自分にできることをやるしかなかった。知りたかった。もっと観ていたかった。許せる限り劇場に通った。それについては満足している。舞台を全通するなんて、きっとこれが最初で最後だと思う。わたしは自分が満足したくて通っていた。信じたかった。世界でいちばんだいすきなひとが、今日も舞台に立っている。これからも舞台に立ち続けてくれると、確信したかった。伝聞ではなく、自分の目で。
 舞台に立つ光一さんに、恥ずかしくない人間でいたい。これは誕生日を帝劇で過ごすことになってからの習慣だった。二月にSHOCKがあったから。
 真面目で努力家で真摯で美しい彼に恥ずかしくないように。今さら性格が良く、誠実で優しいチャーリーみたいにはなれないけれど。光一さんに会いに行くのに、恥ずかしくない自分でいる、というのが、わたしの人生のいちばんの指針だ。だから彼はずっと、北極星。手を伸ばしても届かないけれど、どこにいても見つけられる、きらきら輝く一番星。
 みんな目を閉じて、願い事をして。そして、みっつ数えるんだ。
 ウォンカがそう言う度、わたしは同じことを願い続けた。チャーリーが言ったのと同じ、わたしの願いはひとつだけだからだ。
 親愛なる光一さんへ。
 あなたの幸せを、心の底から祈っています。