いつかここで会おう

2021年2月13日、SHOCKを観終えた私は4分遅れでやってきたバスに乗っている。
地元の唯一上映館はいわゆる郊外型の映画館で、田舎者のくせに車を運転しない主義の私は電車とバスを乗り継いで2時間かけてここに来た。バスのダイヤが合わなかったから、上映開始まで1時間待った。
帰りも定刻運行だったら次のバスまで56分待たないといけなかった。3時間の映画を観るハードルがとても高い。ここは、東京じゃないから。
誕生日に東京にいないのは久しぶりで、本当に今日が自分の誕生日なのか、まだ実感がない。もうすっかり、夜も更けたというのに。
私の誕生日は、始発の新幹線で東京に行って、その切符のまま有楽町で降りて、帝劇で看板の写真を撮るところから始まる。それが、今年はない。
チケットは申し込んだ。当選メールが届いたけど、あんなに悲しい「第一希望で当選です」の文字列を見る日は二度と来ないでほしいと、思う。申し込みの時点で、行けない気がしていた。年末から感染者数が爆発的に増加した東京。
寝たきりの祖母と、老老介護をしている祖父。同居はしてないけど、生活を密にしている。私が東京に行って、祖父母に万一のことがあったらたぶん、生きてられないから。
だから私は、自分で行かないことを決めた。誰に言われたわけでもなく、自分で、決めた。送られてきたデジタルチケットのURLをクリックすることもなく。
職場では緊急事態宣言地域への移動禁止が出ている。それでも帝国劇場の幕は上がる。ショーは続けなければならない。エンターテイメントの火を絶やしてはいけない。たとえ、そこに辿り着く術が絶たれていたとしても。
SHOCKはキャストも曲目も毎年変わるわりに、映像作品に残らないほうだと思う。だから脳に刻みつける。年に一度、帝国劇場で。
あの椅子に座って、Endless SHOCKの文字が揺らめいていて、その下に出ている日付をみて、また年をひとつ重ねたことを実感する。
ずっと、そうやって生きてきた。それしかわからないと言ってしまえるほど。リカみたいに。
帝劇でSHOCKを観ているとき、ストーリーと、実在するキャストと、自分のことがごちゃごちゃになる。
背筋が伸びる。世界でいちばんすきなひとの、美しい姿を目にして、ようやく生きていることを実感できる。
そしてぼんやり考える。私はこの一年、ここに座るのに恥ずかしくない自分でいられたか。
光一さんに会うのに、恥ずかしい人間になってはいないか。
それが、それだけが、私の人生の指針だった。
誕生日が2月なだけで、こんな風に生きてきてしまった。だけどたしかに、このいちにちのために生きている。楽しくもないのに笑って、腹の中で仕事をしないおじさんを呪って、なんとか毎日働いている。
なのになんでこんなに東京が遠いんだろう。一年も待ったのに。一年ずっと、我慢したのに。
SHOCK公開初日は仕事を休んで舞台挨拶を観に行った。そのあと公開された劇場版は、今日観たものと同じだった。当然だ。映像だから。
でもそれは初めての経験だった。SHOCKは毎公演変わるものだ。昼夜2公演を土日連続で観て、夜行で帰ってそのまま出勤していたことを思い出す。続けて4回観たときだって、SHOCKはすべて、ちがう。
それを確かめるために、私は変わらず誕生日に、SHOCKを観に来ている。
作品は、お客様がいることで完成すると光一さんが言っていた。それがようやくわかった気がする。ちがうのは、受け手が変わるからだって。
言葉ではわかっていたことを、ようやく理解した。光一さんの言ってることを飲み込むのに、私はとても時間がかかる。
でもその時間のぶん、ずっと光一さんのことがすきだから、それでも良い気がする。
この文章を書き始めたときは、自分が帝劇にいられないのが悲しくて泣いてるんだと思っていた。光一さんがエンターテイメントの力を信じているのと同じように、私は文章の力を信じている。
たから、悲しいんじゃなくてきっと、悔しいんだと思う。
映画館の音響で観るSHOCKはとても格好良いし、16台のカメラとドローンを入れたという映像は普段目にしないような顔がたくさん観れた。そこは座長を映してくれよ!と思うところもあったけど、監督が光一さんだから仕方ない。WSで流れてたメイキングと一緒に円盤化を待ちます。初回盤通常盤複数売りどんと来い。
SHOCKのカンパニーと、光一さんは劇場という箱庭の外から観ても心底格好良くて、だから彼らに空席のある帝劇をみせてしまうが、私は悔しい。
人は飛べるんだって顔をして帝劇をフライングする光一さんに、満員の客席をみてもらいたかった。SHOCKという作品をすきなひとがこんなにいるんだって、めいいっぱいの拍手にかえて伝えたかった。拍手が言葉のかわりになるってことを、私は帝国劇場で知ったから。
だいすきなひとが、一番大切にしている0番の立ち位置で、満員の拍手を浴びている姿が、私は何よりもすきだ。


今年も、光一さんのことがだいすきです。
カンパニーが全員で千穐楽まで走り抜けられますように。
そして、2022年2月13日には、上手のロッカー前のソファで、こんなこと書いたなあって笑って幕間を迎えられるようになりますように。
いまはまだ、泣くことしかできないけど。f:id:ss02_dairy:20210213193139j:plain